幻の徳川家16代将軍「徳川 家達」

幻の徳川家16代将軍「徳川 家達」

徳川家康から始まり、慶喜で終わった「江戸幕府徳川15代将軍」 幕府が滅亡しなければ、16代目将軍になって、歴史の教科書にも名前を載せることができたかもしれない人物をご存じだろうか。

2018.10.4 UPDATE

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予定されていた16代目将軍 「徳川 家達」

出典:ja.wikipedia.org

本当は江戸幕府16代目将軍となるはずだった徳川 家達(とくがわ いえさと)

1863年から、1940年の間を生きぬいた、徳川一族の名誉ある一人。幼少期の名前は「亀之助」と言い、明治元年に徳川家徳川将軍家を受け継ぎ、名前を家達に変えて、知事に任命されたり留学を経験したり、国会議員を務めていた。

德川 家達(は、徳川宗家16代当主。もとは田安徳川家7代当主。静岡藩初代藩主。幼名は亀之助。号は静岳。位階、勲等、爵位は従一位大勲位公爵。世間からは「十六代様」と呼ばれた。第4代から第8代までの貴族院議長、ワシントン軍縮会議首席全権大使、1940年東京オリンピックの組織委員会の委員長、第6代日本赤十字社社長などを歴任した。大正期には組閣の大命も受けた(拝辞)。

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今家達は東京都港区の芝公園に位置する徳川家霊廟で安らかに眠っている

江戸幕府将軍を務めてきた徳川家の魂は、全国のお寺や神社に設置された霊廟で眠っている。もちろん、将軍にはなれなかった家達もこの墓で永眠しているので、旅行で訪れたら、ぜひ家達の魂を慰めて欲しい。

皮肉に満ちた、家達の経歴(あしあと)

出典:ja.wikipedia.org

本来なら徳川慶喜が務めていた15代目将軍になる予定だった家達

(画像が見づらい方は、引用元へアクセスして下さい)
14代目将軍、家茂(いえもち)は亡くなる間際、「次の将軍は系図から見て最も近い家達にする」と決めていた。しかし、家達はその当時は3歳だったため、遠い親戚にあたる慶喜が将軍になり、家達が大人になったら交代させようと考えていた。

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江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の大政奉還によって家達は将軍になれなかった

しかし、そのようにはいかなかった。慶喜(よしのぶ)が「大政奉還」によって政権を明治政府に明け渡した。これによって、江戸幕府は終わってしまった。だから、慶喜は「大政奉還をした江戸幕府最後の将軍」と歴史に残っている。

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水戸黄門の印籠でもおなじみとなっている徳川家に伝わる家紋・徳川葵

その後、徳川家はどうなったかというと、時代は明治に変わって、徳川家は貴族として存続していた。そんな中16代目当主になった家達は、歴史に名を残そうと奮闘する。まずは当時の国会の貴族院議員を始め、貴族院議長を務めた。しかし、議員や議長だけでは歴史に名を残せない。そんな矢先、彼に「初代東京市長(現在の東京知事)に任命される」というチャンスが訪れる。

西郷隆盛や坂本龍馬とともに幕末で活躍した江戸っ子英雄・勝海舟

幕府で活躍した徳川家の名誉をもう一度作れる!という希望があふれていた時に、当時徳川家のお目付け役だった「勝海舟」が「徳川がもう一度世に出るのであれば、幕府だけではなく、日本国全体を背負う必要がある。家達では不十分だ」と強硬に反対され、断ることとなった。

幕府が終わってから数年が経って内閣総理大臣になれるチャンス到来

この悔しさをバネにして20年、今度は家達に「内閣総理大臣」になれる転機がやってきた。
しかし、それも残念ながら叶うことはなかった。その理由は、徳川一族が「もう一度政治の頂点に立って、万が一失敗したらもう立場がない」と後ろ向きな姿勢だったのだ。そして家達は泣く泣く総理大臣のチャンスを断ることにした。

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オリンピックの委員長になれるという最後のチャンスも砕け散ってしまう

何度も何度も歴史に名を残せない家達・・・そんな家達は、晩年になっていた。そこにもう一度だけチャンスが訪れる。昭和11年(1936年)12月には、1940年の東京オリンピックに向けて組まれた委員会の委員長に抜擢された。オリンピックを成功させれば、アジア初のオリンピック立役者として国際的に名を残せる!と意気込んでいたが、これも頓挫してしまうのであった。

出典:www.nippon.com

オリンピックをやる年での戦争の勃発によって家達は活躍できなかった

1937年~1945年の間、第1次世界大戦を始めとする戦争が始まった。戦争は、どんどん激しくなり、とてもオリンピックなんかやれる状況ではない。仕方なくオリンピックは、中止になってしまった。しかも、オリンピックを行う年の1940年に、家達は病気で亡くなった。

家達の没後,徳川家はどうなったか

出典:www.j-cast.com

写真は2020年に行われる東京オリンピックのロゴとなっている

家達の死後、徳川家は一気に権力を失った。家達が住んでいた広大な家と土地は、国が一つ残らず買収した。さらにその土地は、今の東京の「千駄ヶ谷」で、2020年の東京オリンピック会場になる「新国立競技場」の建設の計画がすすめられている。

家達の人生はまさに皮肉だらけで無念だという印象が伝わってくる

将軍にもなれず、都知事も叶わず、さらには総理大臣も果たせず・・・挙句の果てには、委員長を務めるオリンピックも果たせず・・・徳川家達の人生は、まさに皮肉そのものである。だから、あまり多くの人に知られていないのだろうか。

たとえ教科書に載っていなくても徳川家達がいたことを忘れないでほしい

これから歴史で、江戸幕府将軍を学ぶ人へ、たとえ教科書に載っていなくても先生が教えてくれなくても、16代目将軍候補だった「徳川 家達」のことを忘れないでもらいたい。


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