【モヘンジョダロ】 パキスタン旅行で行きたいインダス文明の謎の遺跡
世界4大文明の1つ「インダス文明」を象徴する遺跡といえば「モヘンジョダロ」と考える人が多いだろう。そこは謎に包まれているが、文明を支える役割を担っていた壮大な遺跡であることを紹介する。
世界4大文明の1つ「インダス文明」を象徴する遺跡といえば「モヘンジョダロ」と考える人が多いだろう。そこは謎に包まれているが、文明を支える役割を担っていた壮大な遺跡であることを紹介する。
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インダス文明を象徴する古代都市の世界遺産「モヘンジョダロ」
モヘンジョダロ
パキスタン南部にある、インダス文明を支えていた最大の都市遺跡で、名前は現地の言葉で「死の丘」という意味を持つ。80ヘクタールの面積を持ち、城塞と市街地に分けられている。そして1980年に世界遺産登録になった。
インダス川のすぐそばに位置する
紀元前2500年、インドからパキスタンに跨ってインダス文明が始まり、インダス川のほとりに繁栄を願って色々な都市が建てられた。その代表的な都市と言えば、北にある「ハラッパー」と南にある「モヘンジョダロ」であった。
このような荘厳な遺跡が誕生した謎に迫る!
碁盤の目のように整備された街並み
今回取り上げる「モヘンジョダロ」そのものの概要を説明すると、丘の上に建っている都市で、そこはまるで碁盤の目のように道路や建物が整っており、紀元前2500年から紀元1800年にかけて繁栄していたことを物語る、ちなみに道路、建物を成り立たせているのは、じっくり焼き上げたレンガである。
これだけきちんと整備されていたのには、理由があった
遠くから見ても、モヘンジョダロの遺跡は碁盤の目のように整っていることが伝わる。この要素は市街地や城砦を成し遂げることを始め、水量の季節的変動を考慮して貯水池を十分にするためにあると判明した。
出典:insider.pk
軍人地区や集会堂とも呼ばれていた、L地区
遺跡の中をあちこち探検してみると、このような場所に辿り着くこともある。こちらはかつて大きな建物が建っていて、武器が出ていて軍人地区とも言われていたこともあり、何より囲いの部分がL字型になっているのでL地区と呼ばれていた。
15mにも及ぶ高さの展望台・ストゥーパ
日本のお墓でお馴染みの「卒塔婆」の由来にもなったストゥーパは、仏や聖者の遺骨や遺品を埋めた跡に煉瓦や土で造った土饅頭型の記念碑となっている。それはモヘンジョダロにも及んでいて、じっくりと分析してみるとまだ新しいものへと分類される。
いくつかの風呂があったことから、現地の人は清潔好きだったことが伺える
先ほど述べたように、モヘンジョダロは治水や下水処理も充実していたことで有名だが、一つ一つの家庭に立派な風呂があったことも有名である。この経緯から、モヘンジョダロで暮らしていた人は、清潔好きだったということが伺える。
写真:この遺跡から発掘された装飾品
モヘンジョダロからは、日常生活に欠かせない土器やアクセサリー類の装飾品も発掘された。なおこれらは、他の国や文明との交易が豊かだったことも示している。
写真:インダス川
インダス川流域の重要な産業と言えば、農業であった。農作物を育てることはもちろん、道路がきちんと舗装されていたので、輸送も容易だった。さらに食料を保存する倉庫もあり、さらには、東に住民の住む市街地、西には行政の役割を果たす城塞が建っていた。このようなことから、モヘンジョダロは、良く考えて造られた遺跡であることが伺える。
下水道・ゴミ処理などの優れた設備も整っていた!
写真:井戸と下水道
インダス文明及びモヘンジョダロが誇る技術と言えば、優れた上下水の設備である。水を蓄えたり流したりする井戸や水路、排水溝などもレンガで作っていたのだ。さらに、きちんと流せるような水洗式の便所も造られたのだ。さらに、家庭で出たゴミを流水で処分する設備も整っていて、より衛生的な都市にしていた。なお、インダス文明の繁栄は、洪水がもたらす肥沃な土地と水によるものだとも推定されている。
モヘンジョダロには、いまだ解明されてない謎が秘められている!
発掘された、不自然な謎の人骨
遺跡の至るところから、人間の骨が発掘された。それらは仰向けやうつ伏せになっているのがほとんどだった。中には、高温で焼かれたような骨もあった。モヘンジョダロが衰退した要因は人間が溶けて骨になるような謎の高温によるものだったのではないだろうかと、今世界中の考古学者が研究している。
遺跡のあちこちにある文字も、未だ解明されていない
遺跡からは、400種類もある独特の文字が見つかったが、残念ながらその文字は今でも解読されておらず、多くの考古学者が研究に挑んでいる。ちなみに見た目はまるで象形文字のようだ。
現在遺跡は、インダス川の水によって危機に瀕している
これまで文明を育んできた川の水が、遺跡をボロボロにしている
モヘンジョダロを育んできたのは、インダス川の豊かな水だった。でも昨今、皮肉なことにその水によって、遺跡が崩れかけている。具体的に説明すると、以下の通りである。
写真:塩害に見舞われたレンガの建造物
この写真を見ると、白い粉のようなものが降りかかっているのがわかるだろうか。遺跡の周りに畑が作られ、インダス川から水を灌漑(かんがい)したため、地下水が上昇して、地中に含まれた塩分が水と共に地上に染み出し、それはレンガにも及んだ。強い日差しによってレンガから染み出た塩分が白く結晶化し、レンガを脆く(もろく)しているのがわかる。
今でも修正作業は続いている
この問題に対して、パキスタン政府はユネスコの協力の下で、ボロボロになったレンガの修復を始め、
ポンプで上昇した地下水を下げる取り組みを行った。それは現在でも続いている。