【謎のモアイ像】10倍楽しくなるイースター島観光ツアーの楽しみ方
近くに島国がない秘境の島「イースター島」。さらにこの島の象徴であるたくさんの「モアイ像」は謎に包まれている。しかしそれは迫力と感動を与え、訪れた人を魅了してやまないということを始め、この島ならではの魅力を存分に紹介する。
近くに島国がない秘境の島「イースター島」。さらにこの島の象徴であるたくさんの「モアイ像」は謎に包まれている。しかしそれは迫力と感動を与え、訪れた人を魅了してやまないということを始め、この島ならではの魅力を存分に紹介する。
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チリ領の、南太平洋に浮かぶ神秘の孤島「イースター島」
現代でも解明できない謎に包まれている絶海の孤島・イースター島
チリが所有する、南太平洋上に位置する火山島。首都はハンガロア村。その周辺には、気軽に行ける島が存在しないため、「絶海の孤島」と例えられている。そして面積は約166㎢、人口は4050人、言語は主にスペイン語が使われる。
イースター島の場所は南アメリカ大陸から西経23度の所に位置する
今回のテーマとなっているイースター島は、所有しているチリを始めブラジルやアルゼンチン、ペルーなどが集結している南アメリカ大陸から西経23度の所に位置している。そしてチリとイースター島の距離は、約3800kmもあるから、イースター島は絶海の孤島と言われている。
現地での気候は基本的に温暖で湿度が高く急に変わりやすいことを知ってほしい
イースター島は南半球にあって、温かい春や寒い冬と言ったはっきりとした季節はない。平均気温は約21度で、日本の沖縄と同じくらいの温度に当たる。そして6~9月は雨季が来るので天候が不安定となる。
名前の由来はキリスト教の「イースター祭」の日に発見されたからである
イースター島は現地の言葉でラパ・ヌイと言い、正式名称はスペイン語を使ったパスクア島と言う。どうして「イースター島」という名前なのかは、1722年のイースター(復活祭)にこの島が発見されたためで、「パスクア島」の「パスクア」も「イースター祭」と同じ意味を持っている。
島のあらゆるところに、シンボルとも言える巨大なモアイ像が点在!
島全体に1000体以上もあるモアイ像はやっぱり切っても切れない存在だ
イースター島と、切っても切れない関係にある巨大な像なのが「モアイ像」。数は約1000体もあり、最大の高さは20mを超えるものもある。作りは様々で、なぎ倒されたり、まだ完成していない像が転がっていたり、修復されて立っていたりする像もあるけれど、1995年に世界遺産に登録された。なお、島の首都であるハンガロア村の周りの遺跡には、必ずモアイ像が連なっている。
大切な祭典を行う場所として存在していたアフ・ビナプ(アフ・タヒリ)
ラノ・カウ山の東側には、イースター島で特にきれいに組まれた石組みがある。顔を下にして、倒れたままの6体のモアイ像が位置し、その近くには女性と思われる細い体のモアイ像がある。倒れているモアイ像もなかなか貴重なので、訪れたら見ておきたい。
倒れてしまったモアイ像が並んでいるアフ・ハンガ・テエ(アフ・バイフ)
海岸線のすぐ近くに、8体のモアイ像が同じ向きにうつ伏せになっている。その下から170~200もの人骨が発掘されたことから、ここは大きな村があって、墓として使われていたことが考えられる。さらにこの像の後ろは、潮風によってかなり激しい風化が進んでいる。
海が押し寄せている海岸線の近くにあるアフ・アカハンガも見所だ
海岸線からギリギリの所に、無造作に全てのモアイ像が倒れている。原型をとどめたものはたった5体だけで、頭の部分に乗せる大きな帽子・プカオもいくつか転がっていて、中には無残に崩れている像もある。
イースター島の中でなかなかの見応えや迫力があるアフ・トンガリキ
北東エリアに行くと、イースター島で最大とも言える、15体ものモアイ像が立ってずらりと並んでいる場所がある。ここは、戦争や大地震や津波でもう復元できないような損害を受けたが、石の一つ一つを集めることから始め、時間をかけて今の状態になった。島の東にあるので、朝日や夕日でよりよい美しさに。
なだらかな山の斜面にいくつものモアイ像が建っているラノ・ララク
イースター島の目玉と言えば、ラノ・ララクという火山だ。この麓(ふもと)ではたくさんのモアイが作られていて、モアイへと加工しやすい火山岩もたくさん採掘されたので、この山の斜面には、400体もある様々な状態のモアイ像が点在しているが、半分だけ完成しているものや、捨てられたようなもの、さらには21.5mという特大のものもある。
プカオという帽子を被ったモアイ像がいくつも並んでいるアフ・ナウナウ
ここには、1978年に修復されたモアイ像がずらりと並ぶ。「プカオ」という、まるで帽子のようなものが頭に載っているのが特徴。さらにこの像の前には、「アナケナ・ビーチ」というイースター島でなかなかない美しい海水浴場が広がる。
全てのモアイ像は島の周りを囲んでいる海を見つめているアフ・アキビ
イースター島のほぼ中央に、7体のモアイ像が同じ向きに立っている。地面はなだらかな丘になっていて、毎年世界中からの観光客がここを訪れる。その上7体のモアイ像はこの島で唯一、海に向けて立てられていて、長い間、遠い海の向こう側にある地平線をずっと眺めている。
モアイ像を始めとする色んな物の材料に欠かせない石を加工したプナ・パウ
ここは島の南西にある石切場で、今では立派な観光地とされている。モアイに被せるプカオの原料となる赤色凝灰岩がたくさん採れて、掘削した後のくぼみがそのまま残されている。さらにその周辺には、中途半端にできたいくつものプカオがたくさん転がっている。
モアイ像はイースター島の深い海にも眠っていてダイビングで見ることもある
モアイ像は何も陸地だけではなく、とても深い海の底に沈められている。イースター島でのダイビングオプションでは、深く潜ると海のモアイ像に巡り合えることもある。ちなみに島の周りはすごく透明で穏やかな海となっていて、カラフルな珊瑚の群れもある。
海岸を散策しながら観光したい7体のモアイ像が並んでいるタハイ遺跡
ハンガロア村から歩いて10分で見ることができる唯一のモアイ像。海に向かっては目が複製されているモアイ像が1体。中央にはアフ(祭壇)のあるモアイ像が1体。さらに見てみると5体のモアイ像が並ぶ「アフ・バイ・ウリ」が立っている。
イースター島ではモアイだけではなく、この島独自のイベントも楽しみたい!
スキューバダイビングで深く潜って海に沈んだモアイ像を見るモアイダイビング
先ほど紹介した、海底に沈んでいるモアイ像は海に潜らなければ見られない。なのでイースター島旅行には、スキューバダイビングで海のモアイ像を見るというオプションが設けられている。深くて青い海とモアイ像は調和していて、時々海に棲む魚たちが歓迎してくれる。
島に長い間伝わっている伝統舞踊・カリカリも観光途中で見ておきたい
もう1つ忘れてはならないのが、この島に代々伝わると言われる民族舞踊・カリカリダンスである。迫力がある男性の踊りと美しい女性の踊りに分けられているが、どちらもポリネシアン風の雰囲気が伝わってきて、観客を圧倒させてくれる。
現存する唯一のモアイの眼を収めている「イースター島博物館」
イースター島及びモアイ像のことを詳しく説明しているイースター島博物館
ハンガロア村周辺のタハイ遺跡から坂を上るとある、島の歴史やモアイ像を展示する博物館。この博物館で忘れてはならない展示品が、現存する「モアイの眼(まなこ)」で、その他にも、伝説の精霊を模った木彫り像や、太古の文字が刻まれた板も展示している。展示品の解説はすべて島の言語、スペイン語で書かれているが、受付で日本語の解説文を貸与してくれる。なお、館内は撮影は一切禁止である。
神秘的な力強さが秘められたモアイの眼が博物館自慢の展示物となる
はぼ完全な形で博物館に保存されている、モアイ像唯一の眼。聖なる力がその瞳に秘められていると信じられている。ちなみにモアイ像の中には、目が描かれたものもある。
知っておきたい!モアイに秘められた謎
・まず、モアイ像は何のために作られたのか
イースター島に住む部族が権力を示すために、人型の像を作るようにになった。
モアイ像は部族の祖先、神、王を模ったと言われるが、祖先の像と考えるのが主流となっている。
海を背に向けて立てられた理由は、村を守るためと言われている。
・どんな方法で作ったのか
優れた工具や重機もなかった時代に、高さ数m、重さ数トンもある石像を作るのは容易ではない。
山の遺跡、ラノ・ララクには中途半端のままのモアイ像が転がっていることから、作った方法がうかがえる。
1.まず山の斜面に、決めたモアイ像の大きさに沿って、人が入れるほどの溝を掘る。
それから前、側面を削り、仕上げていく。背中は何本かの支柱を残して削り出し、前面と2.側面が完成したら支柱を折って、あらかじめ掘っておいた穴へ入れて立たせる。
そして背中に彫刻を入れてやるのだ。
3.ちなみに、高さ10mのモアイ像を作るには、人が30人は必要で1年かかったと言われている。
モアイの胴体はこんなに地中深く埋め込まれていることがわかった
モアイ像を見る時は、首から上だけに集中してしまって中はどうなっているのか考えないことが多い。その謎を解明するために研究チームがイースター島を訪れ、モアイの肩から下はどうなっているのかを調べると、こんなに深く地中に埋め込まれていたことが明らかになった。ちなみに深さは最大で20mにもなる。
なぜ、この島の先住民たちは消えてしまったのか
西暦400年から人が住み始め徐々に衰退していったということが伺える
イースター島には西暦400年から人が定住し始め、1200年あたりになると人口が増え始めたが、気候変動による降水量に変化が起きて、木などの天然資源をむやみに使用し尽くしてしまい、民族同士での争いも起こったので、先住民たちは滅んでいったと推測されている。
日本から、イースター島へ向かい、モアイに会うには
日本からだとタヒチ国際空港を経由してイースター島へ行くことがほとんど
日本から、イースター島への直行便はないので、乗り換えて行く方法になる。一番よい方法が、タヒチへの直行便に乗って、ファアア国際空港で降りてから、そこにある唯一の航空便「ラン航空」がタヒチのパペーテかチリのサンティアゴでイースター島へ向かう手段がある。